三輪あかりちゃん

この夏ビッチマグネットをぜんぶ一気に読むと三輪あかりちゃんが着てるカーディガンがイッセイミヤケだった


少し前に他人に君のことを思って言ってるんだよと利己的なアドバイスを度々言われてわたしは性格が悪いので余計なお世話だよ、とすら思わず全部聞かなかったことにしながら過ごしてた数日間があるんだけど、そのうちにまた別の人伝いに「あの子は僕のアドバイスで改心したみたいだ」と言われているのを聞いてひどく自尊心を傷つけられて、まず第一に気持ち悪いと感じてその衝動で関係してる人間に片っ端からあれは違うんですと言って回って家帰って悔しくて大泣きしてそのときの気持ちとか数ヶ月経った今でも思い出すしはやく忘れ去りたい

そのとき第二に思ったのは、毎日生まれる未曾有の感情や感覚を言葉と物語で必死に決着をつけようとしながら生きてる人々が、喜怒哀楽みたいな既存の感情の枠しか知らずに生きてる人々に、その瑞々しい日々を脅かされてはならないということ
喜怒哀楽の四種類の感情でのびのびと生きてる人は無限種の感情に揉まれながら生きてるひとを、簡単に否定したり一言二言で片付けてしまったりする場面をわたしは見ていられない、こんなことあってはならないと思った
そのときは正義感すら感じた、本当に悔しくて仕方がなかった

そんなふうに悔しくていろいろ上手くいってないのも、わたしは性格悪いけど心があるからなのだった
ビッチマグネットの、自分を<普通の大学生>というメタ化されたキャラクターに落とし込もうとしてるのに、持ってるストーリーがありきたりだからつまらないキャラクターに仕上がってる、みたいな下りを高校生のときフンフンフンフンフンフンフンフンと読んで納得してたけど今大学生になってもわたしがこしらえた<普通の大学生>ってストーリーにいまいち乗れてない、心があるから
心があるから関係のなかで相手の出方をみて反省して修正できる、生身の人間にはキャラクター設定なんて本来あり得ないのに目に見えてあり得ちゃってるのは心を誰か何かに渡しちゃってるからなのかな

全部のこと、ってほど強くは言えないけどわたしの身に起こるたいていのことはつまらない、でもその退屈な日々を演出してるのも期待せずに安全な状況に身を置こうとするのも自分なので満足はしてるのだった
生身の人間は本質的には変われない、これを認めるから互いに尊重できる、他人の影響なんてあってないもの、そういうふつに自分のなかでここ半年のことが決着できてよかった、何度目かのビッチマグネット読了に寄せて

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